政治家上村憲司 勲章を受章した功績

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政府は春の叙勲と褒章、危険業務従事者叙勲を21日付けで発令した。十日町地域からは叙勲では元津南町長の上村憲司氏(70・津南町今井)が地方自治功労で旭日小綬章を、元松之山町選挙管理委員会委員長の本山勉氏(84・浦田)が選挙管理事務功労で旭日単光章を、元津南町消防団長の大島則雄氏(66・津南町貝坂)が消防功労で、保護司の奥山寛千氏(71・友重)が更生保護功労で、学校薬剤師の粉川正明氏(77・津南町逆巻)が学校保健功労で瑞宝双光章を、元北越保育園長の中村田鶴子氏(85・本町6の2)が児童福祉功労で瑞宝単光章を受章した。また褒章では保護司の石黒良泉氏(64・室野)が更生保護功労で藍綬褒章を受章。危険業務叙勲では元十日町地域広域事務組合消防司令の尾身秀樹氏(69・川治)が瑞宝単光章を受章した。 http://www.tokamachi-shinbun.com/archives/2019/05/30-090036.php
毎年日本では22種類の勲章が与えられます。パッと浮かぶものでは文化勲章がありますが、様々な勲章が用意されており、これを受章することはとても栄誉なことであるとされています。そんな勲章ですが、政治家などがよく手にすることがあります。その中の1人として勲章を手にしたのが元津南町の町長で政治家の上村憲司さんです。上村憲司さんが受章した褒章は旭日小綬章です。 旭日小綬章は旭日章の中の1つです。旭日章は1875年に制定された日本最初の勲章で、主に8等級存在します。のちに旭日章の上に大勲位菊花大綬章が加えられ、さらに上に大勲位菊花章頸飾が設置されるなどどんどんバージョンアップを重ねていきます。そして勲一等から勲八等までの表記をやめたほか、勲七等と勲八等にあたるところを廃止して6等級に整理しました。元々旭日章は国や公共に対して勲績を残した人物に贈られる勲章であり、最も上位の旭日桐花大綬章を受章した人には衆議院や参議院の議長や内閣総理大臣、官房長官の経験者などがならぶほか、経団連会長など経済界のトップの人もこの中に入っています。 上村憲司さんが受章した旭日小綬章は、勲四位に該当するもので、高く評価される功績を残した人物は旭日小綬章が与えられるとされています。上村憲司さんの場合は県議会議員を20年、津南町の町長を8年務めており、町長経験者が原則受章できる中では最高の評価とされています。 では、上村憲司さんはどのような功績を残してきたのかですが、1つには津南町の発展があります。人口は減り続けている津南町の中で、少しでも自主財源を増やして若い人に住んでもらえるような環境を作っていきたいと上村憲司さんは考えてきました。すでに津南町には魚沼産コシヒカリというブランド商品がありますが、これ以外に人参やカサブランカを売り出しています。カサブランカの名は「雪美人」で、最高峰のユリと称されるほどです。1本1000円ほどするカサブランカですが、ユリの値段は津南町のカサブランカのセリが終わってからどんどんつけられていくため、いわば津南町のカサブランカが自然と最高値にになります。   津南町のふるさと納税の商品を見ても魚沼産コシヒカリや「つなんポーク」、「越ノ光ポーク」など畜産系の商品が目立つほか、新潟名物の笹団子、人参ジュース、特産のなめこなどもあります。ふるさと納税で得た寄附金は子育てや観光、豪雪地帯に関する対策など様々なものに活用されており、およそ5000万円ほどが全国から集まります。町税が落ち込みを見せる中で寄附金の存在はとても大きく、ここが発展すればさらに自主財源の確保につながります。特産品を作り出すことはふるさと納税の寄附金に反映されていくため、上村憲司さんが特産品を1つでも多く作り出そうとしたことの功績はとても大きいと言えるでしょう。 上村憲司さんが津南町の町長だった時にも様々な功績を残してきました。津南町のランドマーク的存在である苗場山に関して日本ジオパークとして認定されています。日本ジオパークは、保全の価値がある自然環境を、ツーリングなどに活用しながら開発を行っていくためのもので、観光資源にも活用できます。苗場山が日本ジオパークに登録され、上村憲司さんをはじめとする関係者はその決定を万歳三唱で表現し、喜びを見せていました。 また2016年には津南町などを含めた雪国の文化や火焔型土器が日本遺産に認定され、その年、秋篠宮両殿下、悠仁親王殿下が津南町を訪問しています。津南町は昔から豪雪地帯であり、当然縄文時代も豪雪地帯だったはずですが、なぜかこの時代に津南町に多くの縄文人が暮らしており、たくさん土器が出土されており、縄文時代における銀座のような存在で、人口密度も全国で一番だったのではないかと上村憲司さんは語っています。着実に津南町を観光資源にあふれたエリアにさせ、日本遺産や日本ジオパークなどに認定してもらい、有名にさせた功績はとても大きいでしょう。   人を集めようと無理にお金を使い、よくわからないモニュメントを作ってしまう自治体が残念ながら存在します。そんな中、上村憲司さんは元々存在したものを観光資源として活用し、その試みは見事に成功しています。だからこそ、ムダなお金を使ってわけのわからないことにはさせておらず、次につながる経営ができていると言えるでしょう。ムダの象徴とされたグリーンピアを譲り受け、民間に経営してもらって宿泊人数を着実に増やしている状況にもなっています。魚沼産コシヒカリや畜産の影響は非常に大きく、豪雪地帯というのも魅力になっており、他の地域には真似できません。これらを総合的に判断した結果、認めてもらったと考えるのが妥当と言えるでしょう。